15年ぶりの買い足し

15年ぶりにレッドウィングのポストマンを買った。買い替えではなく、買い足し。

左は今月、右は2011年に購入。

 

15年も経つと、履き口は擦り切れ、皺の奥からは茶色い芯が覗く。ソールも二度貼り替えて、いまは三枚目。

 

ただ、このペースでは、そう長くは持ちそうにない。そう考えて、新たな一足と“並走”することにした。長年の相棒と、より長く一緒にいるために。

 

同じ靴なのに、ここまで違う。ツヤはなくなったけれど、15年の深みと迫力がある。

 

もしかしたら、また15年後にも同じ靴を買っているかもしれない。

 

その頃には、二代目がいい感じに育って、初代はというと、裂けたシワの上にパッチをまといつつ、まだ現役──。

 

そんな未来だったら、きっと最高だ。

夏のルーティーン

アイスコーヒー用に豆を煎った。ちょっと焦げたかも、と思ったら、氷がちょうどよくしてくれた。

 

「最高」でも「満足」でもないけど、だいたいがちょうどよかったりする。

夏になると一日に何杯もアイスコーヒーを飲むので、ここ3年は、青い豆を買ってきて、自分で焙煎をしている。

 

とんでもなくおいしいのができたり、いまいちだったり。その時の気分で火を強くしたり、長く煎ったりするので、同じ豆でも仕上がりはいつも微妙に違う。同じなのは、深煎りという事くらい。

なんかなぁと思っても、日が経つにつれてじわじわとおいしく思えてきたり、お酒の後に飲むと最高だったりもする。

なかなかに楽しい夏の習慣。

母怒る 〜 1918年米騒動

1918年の今日、暮らしを守ろうと声をあげた人たちがいた。  

 

政治家でも労働組合でもない。切実な米不足に悩む富山のおかあさんたちだ。

 

家族の分もないのに、どうしてよそに売るの。

 

台所の怒りが、港を止めた。その日船は動かず、社会がきしみ始めた。大きな戦争が終わろうとし、日々の暮らしが静かに壊れていった時代。

 

その後、全国で襲撃や焼き討ちが相次いだ。怒りの矛先は米屋、新聞社、町役場、警察署へと拡大し、内閣は総辞職。庶民の怒りを無視できない時代に突入した。

 

今は怒号も火炎もない。米が高くても、何かを食べて、次の日を迎える。

けれど、そんな凪に――釈然としない思いだけが残っている。

 

コーヒーとおにぎり

なんとなく、でもずっと気になってる。この看板。

 

どちらもソロでは超メジャーだけど、コンビも組むんだ。

 

ツナマヨとカフェラテ、梅干玄米とネルドリップの深煎り。……とか?想像だけど。

 

何が出てくるのか、ちょっと怖くて、でもすごく楽しみでもある。無理にペアじゃなくたって、いいんだろうし。

 

いつか一緒に入ってみようか。

だれかの日記

この3日間、私は何もしなかった。

けれど、それだけのことが、こんなにも深く私の中に残ってしまうなんて、思ってもいなかった。

カーテンの隙間から差し込む光が、少しずつ移ろってゆくのを、私はただながめていた。ときおり、窓の外から賑やかな家族連れの声が聞こえてきた。

明日からまたお仕事が始まる。外とつながっているふりをして、私はまた、誰かのふりをするのだろう。

そういえば、今朝、枕元に一本だけ落ちていた髪。あれは、ほんとうに私のものだったのかしら。

 

投票所までの道すがら

今日は参議院議員選挙の投票日。毎回ちょっと迷う。というか、「わかってるつもり」で投票するけど、「ほんとに? 」とも思う。

散歩がてら投票所に向かいながら、東京選挙区の参政党候補・さや氏の街頭演説を思い出した。30年もジリ貧の日本に憤り、場当たり的な政策を「バカにするな!」と一喝する姿に、柄にもなく熱くなったりして。

政策うんぬんも大事だけど、今の日本に本気で怒って何とかしようって意気込みを感じさせる人、なかなかいなかったから。

投票会場は意外に静かだった。今は帰ってきて冷たい麦茶を飲んでいる。

今日が、何かのきっかけになるといい。